サブプライム関連を続けてみよう。
日経新聞 「大機小機」(8月29日付)はタイトル「サブプライムと住専問題」で、米国サブプライム問題は日本の住専問題を思い出す、というものだ。
この中で「日本の不良債権問題はバブル崩壊だけが原因ではなく、日本経済の体力低下の結果」、すなわち日本型経営が限界に達していたからだ、と論じている。
これは面白い指摘だが、「失われた10年」の責任を、日本型経営の行き詰まりに転嫁している点が問題だ。あくまでバブル造成から崩壊、その後処理の遅れは金融問題であり、その責任は政府・日銀・都銀・地銀が負わねばならないものだ。
たしかに90年代初頭、日本型経営はすでに疲弊していたのかもしれない。しかし、バブル崩壊がなければ、日本企業は日本型経営のままであっても10年も死に体となることはなかったであろう。
米国のサブプライムに戻って、「米国型経済経営そのものが、証券化というマジックの功罪を含めて問われているようにも見える」とあるが、「米国型経済経営」とはいったい何なのか?「証券化というマジック」のことなのか?しかし、そもそも証券化はマジックなどでは決してない。
そもそも「マジック」などという表現を使うのは証券化についての知識に欠けているからだろう。それに加えて、ひとつを事象だけを見て、一事が万事と思い込んでしまうところが浅薄な見方を生み出す。
モーゲージ、カードローンの証券化なくしてすでに世の中は立ち回らない。問題は証券化そのものにあるのではなく、その運営、やり方、今回の場合にはとくにやり過ぎに問題があったのだ。繰り返し言おう、米国サブプライム問題は証券化が問題なのではなく、そのやり過ぎが問題であったのだ。
締めくくりは、「ベトナム戦争の泥沼化を契機に米国の輝きが曇り始めたこともある」として、「証券化のマジック」で躓いた米国の斜陽を示唆する形となっているが、全くいただけない。
まず第一に、ここは経済、金融の話をしているのだ。なぜ突然ベトナム戦争などを引き合いに出すのか?「イラク泥沼化と米国経済」を論じているなら、ベトナム戦争を引き合いに出すのも意味があろうが、ここではほとんど関連のない連想としか言いようがない。読者に「サブプライム=ベトナム」という図式を想像させインパクトを狙ったのだろうが、サブプライムとベトナムのどこが似ているというのだろう?こういうインチキ認識をまた一部のひとがまともに受けて、日本人の国際認識力をさらに捻くれたものとするのに貢献することになる。
第二に、サブプライム問題はたしかに大きな問題で、米国経済に影響を及ぼすかもしれない。景気はスローダウンするかもしれない。しかし、それは「証券化のマジック」の結果でもないし、米国型経営の失敗、米国の失墜を示すものでは決してない。
日本ではサブプライム問題は起きようもない。なぜならモーゲージ市場も証券化市場も整備が立ち遅れていて、とくに低所得者が住宅を買えるような仕組みになっていない。最近やっと郵貯と地銀が組んで低所得者向けローン市場を開拓する、となったばかりだ、と日経にあった。
「愛して失うは愛さないよりマシ」とい言葉があるが、「やるだけやって失うは、何もしないよりマシ」というのが資本主義の活力ではあるまいか?サブプライムに逆にわたしは米国の活力を見る。
日本では米国サブプライム問題は降って湧いたような問題で、株は下がるわ、円高になるわ。で迷惑千万、蛇蝎のごとく嫌われ、悪し様に論じられているが、「日本では愛して失うことすらできないのだ」と考えるひとがいないのは悲しいことかもしれない。